文:藤本和剛
関西の下町に存在するお地蔵さん密集地「地ゾーン」。『Meets Regional』はじめ街の雑誌を作って17年、“クラスにひとりいた歴オタのなれの果て”こと編集者・藤本が、雑念を捨て新型コロナウイルスという世界的な疫病にひとり“祈り”で立ち向かう。真言ぶつぶつ街ぐるぐる、『No Meets』のためのストリート系地蔵緊急巡礼コラム。
- 藤本和剛(ふじもと・かずたか)
- 1980年、大阪・阿倍野区生まれで現在も在住。『Meets Regional』副編集長を長年務め、現在は広告誌面に携わる。各種イベントの企画・出演のほか寄稿多数。古典芸能からファッション、老舗の酒場から旬の店まで、温故知新をモットーに雑学まみれの日々。最近、大阪観光ガイド業を企んで、大阪検定(2級やけど)を取ってしまいました。
デジタル時代に逆行する、
“祈り”で世の役に立つ。
近畿各地のストリートにましますお地蔵さんの密集地。それらを総称して地ゾーンと呼び始めたのがおよそ7年ほど前。「新型コロナウイルスの鎮静を願って、地元の地ゾーンを拝んで巡りたい」本稿の執筆依頼を受けた電話で、これが口をついて出ちゃったのにはいくつか理由がある。
リモートワークが本格化してから、ポスパン(ポストパンデミック)言説を摂取しすぎて心がすっかり下痢気味、横文字のデジタルビンタに耐えかねていたこと。
5月になると、世を儚んで積ん読を肘置きに酒三昧、指先からはずっとタコスチップスの味がするていたらく。戒めに揃えた「のんある気分」はいつしか芋焼酎の割り材と化し、まるでサワーだよね!なんつって傍らの芋けんぴをおちょぼ口で吸い込む日々を過ごしていたのである。
怠惰な自粛生活で唯一真剣にやったのは、古今のフィールドワーカーの著作に絞って紹介したブックカバーチャレンジで、再読した著作の影響、街を歩きたい衝動、「アマビエ? ポッと出が」と毒付く偏狭、ほんでやっぱり南無三宝ってことで、雑念まみれの雑誌編集者が、デジタルソリューションと対極の雑学を、雑に開陳しようという“雑”まみれな試みを思いついたのだ。
新型コロナウイルス
鎮静を願う、
堂々めぐりの
サイクロン作戦。
お地蔵さんの祠(ほこら。ドラクエⅡっぽい)は長屋ひしめく路地や袋小路に多発し、8月23日〜24日は「地蔵盆」という縁日が地域によっては催される。また、異常な地蔵率を示す「地ゾーン」が存在するのも、西成区や大正区、これまでの大阪各地の下町取材で確信していた。
毎年、西成区にあるうち約40の地蔵盆を祈祷して回るという山伏カメラマン・バンリ氏や、仏像に精通したロックンローラー・松田圭則氏といった先達へ聞き込みをして考えた。熊野街道や庚申街道など、旧街道がいくつも縦貫する我が街・阿倍野なら、もしや一日である程度網羅できるのではないか⋯? 何しろ人生の8割を暮らしてきた街ゆえ、“いつメン”もいる!
大阪の緊急事態宣言が解除された金曜朝8時半、ランニング用の一張羅に着替えてレッツゴー。持ち物は、聞き込みやネットで予習が効いた祠をマッピングした地図とボールペン、メモ用のスマホと少々の金銭。歩き初めてすぐ、上町台地の崖を思い出して妻の電動自転車にテヘペロでまたがる。街がいよいよ日常へ戻らんとする平日朝、こうして黒ずくめのマスクおじさんの孤独な巡礼は始まった。
自宅は“阿倍野七坂”と呼ばれる、激坂地域のヒルトップにある。チンチン電車が熊野街道を抱くように走り、葉脈のごとき路地が周縁に広がるのどかな景色は、戦災を免れた副産物だ。
戦法はこうだ。家の近所の“いつメン”に挨拶してから、熊野街道を上がって北東端の地ゾーン・天王寺町(JR環状線・寺田町駅東側)を仕留める。それから庚申街道を南下して西田辺駅界隈(JR御堂筋線)を探索、南側の区境を成す南港通を西進して戻る。これぞ反時計回りに渦を巻くように阿倍野を攻略する作戦〜プロジェクト・サイクロン〜だ(ダサい)!
まず近隣のマンション横っ腹にある、最寄り地蔵でうろ覚えの真言をはじめて唱える。カタブツ教師なメガネは落とし物だろうか、祠は地域の連絡所の役割も担っていることを知る。続くチンチン電車の踏切脇には安全地蔵。線路や踏切に密接するのは大体このタイプで、生けられた大ぶりの美しいピンクの花は、地域で悲喜こもごものエピソードが継承されている証左だ。
王子商店街から松虫界隈で、訪れた祠の数は早くも15に迫りつつあった。道行く先々で出会う古老の辻説法で遅々として進まないが、扉が開いているものは、おおむねお清めが済んでいる。拝まれ具合は見仏の重要なポイントで、まさに堂々巡りの最中、愛され地蔵に出会うと思いの外うれしい。
じわじわ北上して阿倍野斎場から天王寺。このあたりで、約1m四方の木造建築オン石の台座、雨対策の銅板を張った切妻屋根を備えたものが祠のデフォルトと了解する。お地蔵さんのタイプは「延命地蔵」と「子安地蔵」が優勢。つまり人間側の希求にピンポイントで応える“密”な関係が、庶民による地蔵信仰の根幹なのだろう。
巡礼もいよいよ堂に入って、「オンカカカビサンマエイソワカ」、ようやく暗唱できるようになった真言を呟きながら、終わりかけのバラと、入れ違いであじさいが爆発する路地を疾走する。
阿倍野区の飛び地的な天王寺町に来ると、「祠っていうかお堂」なサイズに驚嘆。四天王寺〜上本町界隈に見られる大型化する文化圏なのだろう、掃除小屋併設で、賽銭箱や脇侍も出揃い、子どもで賑わう晩夏の地蔵盆の風景がありありと思われた。
街角最小の建築にして、
最も身近な宗教施設。
そうして夕方、影が延びて自転車を公園に駐めた。缶ビール片手に地図とスマホを確認すると、なんと7時間で56の祠を巡拝、150遍以上の真言を唱えたことがわかった。
タワーマンションを光背に負うシティボーイ、村境の守りを担うY字路の門番、民家の外壁に埋め込まれたインクルーシブタイプ。再開発のあおりを受け、お寺の壁のスペースに合祀されたかつての地域の主たちや、まさかの新築“仏”件まで……。
平安末期〜鎌倉時代に大陸から伝来した地蔵信仰が、この令和に未だ豊かに存在している非合理。「捨てたもんじゃないなあ」と、個性あふれる顔を思い出す。地蔵は設置場所の風土が色濃く表れる、街歩きのヒント集だ。そして、霊的なレイヤーが日常に一枚入れば、街歩きがもっと面白くなる。
毎日の通り道や立ち寄れる範囲に、日々手を合わせる「マイ地蔵」を見つけよう。ひと皮剥いたら、底なしの落とし穴にハマってしまうこの時代。ほんの少しの祈りのひとときだけが、我々を地獄から救ってくれるのかもしれない。そんなことを考えながら2本目の缶ビールを飲み干して立ち上がると、見事に太腿がミートグッバイ(肉離れ)。兄やん大丈夫? と助けてくれた子どもは、どこかのお地蔵さんだったのだろうか。
開陳!
地ゾーン、ガイドマップ。
本記事作成にあたり、阿倍野界隈で拝んだ56の地蔵をgoogleマイマップに反映しました。記事内で紹介した地蔵はマップ上のピクトを青にしています。気が向いたら、MAPを見ながら疫病鎮静と世界平和を願ってみてください。実際に全部巡礼されたハードコアな読者様には、藤本が個人的に『Meets Regional』8・9月合併号をプレゼントします。
※一部西成区、住吉区に越境しています。
※寺域や霊園内など、漏れやヌケがあることをご了承ください。
企画・文・写真:藤本和剛
編集:納谷ロマン