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概要

M1510

26 らもと玉造といえば、〝クマと闘ったヒト?ミスター・ヒトのお好み焼き店や、独特な語感から話題を呼んだ「ネーポン」のある店?アジアコーヒ?など、〝らも好み?な店が思い当たる。しかし、らもの短篇「日の出通り商店街 いきいきデー」を読むと、いきいきデーの日は、商店街で殺し合いをするトンデモ設定ながら、天ぷら屋は煮え油を、外科医はメスを、そして、中華料理屋は中華鍋と中華包丁で立ち向かう、実は商店街の職能、美学が激突する話になっている。破天荒に見えて、玉造の日之出通商店街へのヒネったラブレターと読めなくもない。実際、町で証言を集めると、らもが通っていたのは、何十年と町に腰を据えた身近な店ばかり。ネタ抜きにした、生活者としてのらもの姿が見えてきた。破天荒なイメージと生活者としての玉造での日々。朝イチからよく食べていたというナポリタン680円。あわせて飲むのは、「いつも水だった」「コーラでした」…などと諸説あり。中島らも作家、ミュージシャン。その発言、行動すべてにらしさが刻まれていた異才の人。所属劇団・笑殺軍団リリパット・アーミーの拠点があったことから、玉造に事務所を構えた。 しばらくの間、その風体からホームレスが通ってきたと思い込んでいたんだとか。「半分寝てるんかなと思ってたけど、執筆された徹夜明けに、食事に来られてたんです。必要以上のことは喋りはらへんから」。気心が知れてからは、向かいの公園のお花見に、近所のクリーニング屋さんらと呼ばれたこともあったそう。 大阪女学院、城星学園など、学舎の集う界隈で、先生方にも愛されながら約30年続く喫茶店。らもも食べていたという朝のトーストモーニングは360円。●中央区玉造2-6-7 平和ビル1F 206-6761-8117 7:00~18:00 無休アメリカン [玉造駅北]MAP P11 B-1通いつめた玉造の店からの証言千鳥足の中島らもを追いかけて。04年7月、52歳で亡くなった中島らも。長く事務所を構えていた玉造で、執筆の合間に、徹夜明けの朝に、らもが通った店を訪ねた。取材・文/竹内厚 写真/佐伯慎亮取材場所として店が使われることも。店に残された色紙には、そんな週刊誌取材での1枚が貼られている。新聞も読まんと朝から窓際でぼんやりとしてね。◎証言者アメリカン店主平井和彦さん